私だって給湯室に玉木宏がいれば頑張るよ

今週のお題「お弁当」

 

先程、明日分のお弁当を仕込み終えたのでこちらのお題に投稿してみる。

 

現在OLとしてコピーを取ったりパソコンと睨めっこしたり上司からのセクハラに「やだも~(笑)」と応対しつつ手元のメモに「殺す」と書いて気持ちを落ち着かせたりする生活だ。そんな生活の中でささやかな楽しみと言えばやはり食。お弁当である。

 

一人暮らしを始めてからは毎日お弁当を作っている。ランチミーティングさえ無ければ原則お弁当だ。

 

面倒と言えば面倒だが、土日に野菜系の日持ちするおかずを作っておき、夜にそのおかずとウインナーと冷凍食品とご飯を詰めるだけだ。夏は冷蔵庫にブッこんでおく。

 

朝にお弁当を作れる人ってえらいなぁと思う。ぜって~嫌だ。その15分分寝ていたい。無理だ。お母さんありがとう。

 

お弁当派と言うと大体「えらーい!」と褒めてもらえる。

 

が、上記の通り大したものは入れていないし茶色感が凄い。ジャッカル桑原くらい茶色い。

 

それでも自分の好きな物を入れられるしこれまたささやかだがご飯を工夫したりして少しでも楽しみを増やそうとしているのだ。最近はめんつゆを馴染ませた揚げ玉とちぎり海苔を麦入りご飯でサンドするのにハマっている。天丼みたいで美味しい。

 

少し前はカリカリ梅をアホほど入れていたのだが入れすぎて草間彌生が頭に浮かぶようになったので控えた。1か100しかない性格が遺憾なく発揮されてしまった。

 

そんなわけで第一に自分が食べたいもの・第二に栄養・第三に見栄えなので色とりどりのキラメキランチではない。キラメキランチって字面に己のセンスの無さを感じて辛い。シンプルにダサい。

 

ちなみにお昼はできれば一人で食べたい。

 

誰かと食べるのも楽しいが職場では貴重な一人になれる時間。さっさと食べてPixivでホモ漫画を読んだりデイリーポータルを巡回とかしたいのだ。

 

こういうことを書いていると寂しい奴だとか思われそうだが本当にその通りだ。私自身、お弁当を作っている時も食べている時も完全なる”無”である。ブッダが目指した無の概念がそこにはあるのだ。

 

好きな物を詰め込んだお弁当なので美味しいとは思っている。思ってはいるのだが体と脳にアクセス制限がかかった状態なので最小限の思考力しか振り絞れない。

 

「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われていなきゃあダメなんだ。ひとりで静かで豊かで…」

 

名作『孤独のグルメ』では主人公の井之頭五郎がこんな名言を吐く。有名な台詞だが完全に同意だ。ストレスも溜まりやすい職場。孤独に好物が詰まった弁当を無で食するのはむしろ理想とも言えよう。

 

……しかしまぁ、上司に玉木宏が居てお昼休みの給湯室でちょっと話すイベントが起こるのなら私も本気を出す。完璧な弁当を作ってみせる。そして

 

「お疲れ~。あれ、弁当なんだ。手作りじゃん」

「お疲れ様です~そうなんです。あっためにきましたぁ。玉木さんはお料理とかされます?」

「俺?するように見える?」

「うーん……見えない、かな(笑)」

「今度作ってよ(笑)」

「あはは~了解でーす」

 

みたいなちょっとしたジャレあいを内心ドキドキで楽しみたい。

 

そしたらもう私築地まで行って鯖とか買ってきてめっちゃいい塩で焼くわ。野菜も農家まで買い付けに行く。弁当箱も曲げわっぱの良い奴買うし。

 

【VR・給湯室でカップラーメン用のお湯を沸かしてる玉木宏との会話シリーズ】とか開発されないだろうか。全国のOLに向けて星野源バージョンとか成宮くんバージョンも開発して頂きたい。

 

それまでにお弁当作りの腕を磨いてお待ちしている。

 

火の車で海へ行こう

 

金がない。いや、ある。

 

IQ7の出だしでお恥ずかしい限りだが、まさに「金がない、いやある、でもない」と言う状況だ。

 

両親の”家にお金入れなくていいから帰ってきなよ~”という甘い言葉に惑わされぬよう一人暮らしを続ける日々。

 

そもそも実家まで1時間もかからない距離だし、親もこう言ってくれている。高給取りではないが4大新卒の平均そこそこは頂いている身。実家に住んでいればあっという間に貯金も貯まるだろう。

 

だがしかし、一人暮らしの自由さ気楽さ楽しさを知ってしまったらもう戻れない。

 

「人間として自立するんだ」と決意したはずがいつの間にか全裸で焼うどんを作ってたりする。もはや自立しているのか退化しているのか。

 

全裸で料理していると心底、服ってスゴいなぁと思う。スピッツ/恋する凡人の歌詞に【矛盾だらけの話だけど進化する前に戻って何もかもに感動しよう】というのがある。それだ。私は草野マサムネだったのだろうか。幼い微熱を下げられないまま神様の影を恐れているのだ。

 

前前前回(満満満足のリズムで読むか前前前世のリズムで読むかは読者諸氏にお任せする)の記事では中森明菜を襲名したはずだったのだが。

 

elleqqqq.hatenablog.com

 

毎度のごとく物凄い勢いで話がズレる。要点は一人暮らしはお金がかかると言う事だ。

 

私は家賃が安い物件に住んでいて家賃、光熱費で6万くらい。自炊中心だが正直コスパはよくわからない。結局自炊はライフスタイルに合う合わないだ。私は合うから続けているだけである。

 

貯金については細かに家計簿をつけている訳ではないのだが毎月2万くらいは貯まるようにしている。なので貯金がゼロで腎臓をどこまで売るかとかそういう切迫感はとりあえず、ない。しかしザギンでチャンネーのパイオツを揉みながらユーゴーするほどの余裕もない。

 

ついこの間も某百貨店で11万円のバッグに一目ぼれしたがどう考えても腎臓を3/4売らないと買えないシロモノだったので諦めた。代わりに4千円のバッグを買った。それはそれで気に入っているので満足しているものの、やっぱり腎臓と眼球を片方売るべきだったのかなと未だに考えてしまう。

 

そんなこんなで友達と如何にしてお金を貯めるか考えたが、解決策がパンツを売るか臓器を売るかの2択であった。この闇、クローズアップ現代でそれっぽく取り上げられそうだ。

 

ちなみに学生時代、学生ローン地獄に陥り金欠だと嘆く友人のPC検索履歴に

 

日本 賞金首

日本 見世物小屋 時給

デブ専パブ 時給

 

とあって爆笑した思い出がある(一切盛っていないモノホンの実話)。見世物小屋は福利厚生・研修アリで3000円だったらしい。『少女椿丸尾末広著)』を期待していると下手な企業よりホワイトだという。

 

度胸もエンターテイメント性もない私にはこのまま地道に貯蓄を続けるしかないのだろうか。

 

恐ろしいほどギャンブル運が無いのでパチやFXにはハマらないと思うが私が福本伸行のような絵柄になり始めたら闇のステップに進んだと思って頂きたい。その時は文字通り火ダルマの車で東尋坊に突っ込んでお見せする。死に際に開花したエンターテイメント性にこうご期待だ。

 

藁半紙ドライバー

 

普通自動車免許を取得して1年と2か月経った。その間、運転したのは10分のみである。

 

そもそも学生で時間があるうちに取っておこうと思っただけで特別、車が必要な生活ではなかったのだ。基本的に自転車と電車でどこにでも行ける環境なのだから。わざわざ時間と金を贄にして暗黒絶対殺ライセンス(ルビはマーダーライセンス)を取得する意味とは……と思った。

 

とは言っても就活の時に免許くらいは持っておいた方が良いだろうし、教習所は実家から1分の所にあったし、お金は親が出してくれるという。そんじゃあいっちょ取ってみますか!と21歳の私は教習所に殴り込んだ。低姿勢で。

 

それまで道路は左側通行ということすら知らなかった私にとって座学はそれなりに楽しかった。暗記もそこそこに得意なので座学は速攻で終わらせた。問題は仮免までの実技である。

 

第2回目の実技で感じが悪く態度が大きい教官にあたってしまったのだ。略して悪大官とする。顔も悪代官っぽかったしな。

 

その悪大官、とにかく高圧的で自分のミスを認めない。果ては残り20Mもない直線コースで40km出せとのたまうのだ。ちなみに40km出してフェンスを突き破った場合、私の実家の私有地に突っ込む事になる。当たり前だが指示には従わなかった。そうしたらハゲそうなほど怒られたのでNGリストに突っ込んで一か月ほど教習に行かなかった。若干ハゲた気がするので責任を取って欲しい。

 

少し拗ねた所でまた教習所通いを再開した訳だが、やはり仮免の試験は緊張した。

 

今だから言えるが、実は一発不合格物のミスをやらかしかけた。……が、助手席の教官が資料を見ていたタイミングだったので誤魔化せたのである。

 

一応未遂だったのと、教官も教官でコースを間違えたことを誤魔化していたので闇の取引は成立した。スラム街ならではのほのぼのとした光景だ。

 

その後晴れて路上教習にステップアップ。個人的にはこちらの方が楽しかった。高速教習は希望者のみやシミュレーターで済ます所もあるという。そこでは必修だった。

 

その高速教習中、パラグライダーが前方上空を旋回していて運転者、教官、乗り合わせた別の運転者全員が気を取られそうになる場面もあったがパラグライダーが居たら見たくなるだろ、普通。事故を誘う罠としか思えない。スラム街ならではの心温まる策謀だ。

 

そして最後の卒業試験も”緊張のあまりエンジンをかけずにアクセルを踏み続ける”という痴態を晒しながらなんとか合格。本免も受かった。

 

私はダラダラと通い続けたので10か月の期間ギリギリとなってしまった。合宿に赴き2週間で取得するとかキツそうだなぁと思う。山王高校バスケ部の合宿ぐらいキツいのではなかろうか。合宿免許を持ってる人は全員一ノ倉聡だったのだ。

 

こうして振り返ると、あの10か月という期間も中々に思い出深い。

 

律儀に時速30kmを守り後ろの車から煽られまくっても「あそこのゴールデンレトリバー可愛いっすね」「ふさふさだね」と平然とシカトしたあの道。

 

ノリが合い、毎度アメリカンコメディのような会話をしていた教官。

(毎回以下のような感じだった。)

「先週の雪すごかったですね。教習所もお休みでしたよねさすがに」

「なぁに言ってんの。バリバリやったよ」

「えっ!?あの雪の中教習を!?」

「雪かきを」

「「ダーッハッハッハ!」」

 

座学の授業中に寒くてくしゃみを連発していたら講義後にそっとアイカツ!のポケットティッシュ(ピンクの花柄)を渡してくれた見知らぬ男子高校生。

 

そんな思い出、約30万の費用、10か月の期間……それら全てを踏みにじってペーパードライバーになった。本当に申し訳ない。

 

しかし、実物の車で操作する頭文字Dのゲームをプレイした際、カーチェイスゲームだと言うのに終始時速40kmを守ったため係員から笑われた私だ。教えは身に沁みついていると断言できる。

 

教官、私はこれからも藁半紙ドライバーとして無事故無違反に努めます。

 

ヤンデレはセロトニン不足

ヤンデレ、好きだ。このブログの前身ブログ(今はもうない)でもアホみたいな長文で語ったくらいには好きだ。

 

ヤンデレものの二次創作(主に夢小説)を読んでいると「逃げられない」という不安が「愛されたい」という欲求を満たし、更には「諦めと達成感」という相反する感情をカバーしてくれる。いっそ包容力さえ感じるのだから不思議だ。

 

こういうのを”麻痺”と呼ぶのだろうが、私が幸せならオールオッケーである。はやく私を愛してくれ。夢豚のラブミーテンダーという弱々しい声が夜に響く。

 

ただしこちらも夢豚として10年以上のキャリアを積んでいる身。僭越ではあるがそれなりに厳しい目で評価させて頂く。

 

例えば先日、とあるヤンデレ夢小説を読んでいたらキャラが夢主の手首をバッキバキに折って来て申し訳ないが笑った。

 

直後に「こうすればお前は逃げないよな?」というセリフがあったのだが、結末はどうでもいいからどんな体勢で走る女なのかだけ教えて欲しい。夢主はテケテケか何かだったのだろうか。

 

こんな風に、ヤンデレモノには逃げられないようにという名目で足に鎖を繋いだり脚の健を切ったりする展開が少なくない。

 

手足を軽率に落とす以外のヤンデレあるあるとしては、アハハと笑いながらおかしなことを口走る、血の付いた包丁を持つ・舐める、こちらの話を聞かずに一人で長台詞…などが挙げられるか。某ヤンデレ美少女CDの影響力が強いのかもしれない。

 

それにしても手首を折ったり「他の男と話していた罰だ」と言って片腕を落としてくる奴はどこの部族出身なんだ。干し首を腰に下げるのが礼装とかなのか。一本ずつ指を落とすヤクザの方がまだ穏やかである。

 

個人的にはバイオレンスに走らずとも視線ひとつでこちらを拘束してしまうようなヤンデレの方が好きだ。暴力はエッセンスであり前面に押し出すのは好ましくない。

 

クソ上から目線だがあくまで個人の好みである。小指くらいなら詰めるからご容赦頂きたい。

 

私はヤンデレ夢小説が好きだが、3秒に1度「あったまおかしいんじゃね~~~の」と呟きながら読む。その頭のおかしさが心地よい。

 

椎名林檎で言うところの”嘘だって好くて沢山の矛盾が丁度善い”である。事変もヤンデレっぽい歌詞多いよな。

 

背中に嫌な汗が流れる良作ヤンデレ夢小説に出会うと本当に怖くてそのキャラを見られなくなったりするがそれが堪らないのだ。ヤンデレが一つのジャンルとして定義され根付いたことを心から嬉しむ。

 

好きすぎて殺したくなる/病んでしまう/邪魔者を排斥したくなる……つくづく、恋とは凶暴な感情だと思う。

 

私の場合、好きになっても鳩サブレお土産に持たせた~い♡くらいの感情でストップだ。心のババアが強すぎる。心のババアが鳩サブレを鎌倉本店で買い占めている。48枚入りのデカい缶を掲げるババア。

 

ここまで書いて、ヤンデレってセロトニン不足だからああなるのかなと感じ始めた。ババアと一緒に鎌倉へ出向いて鳩サブレを買いに行こう。手首を折ったり脚の健を切るのは鳩サブレを買ってからで、なにとぞなにとぞ。

 

飾りじゃないのよ涙は

 

この休日でリンパマッサージに行ってきた。月一で通っているのだがデスクワークで凝り固まった肩や浮腫んだ足をマッサージしてもらうのは気持ちいい。

 

マッサージと合わせてゲルマニウム温浴も付いているのだがこれがまた最高なのだ。ゲルマニウム温浴のシステムやそれがどう作用してくるのかはチンパンジーなのでわからないが、肘から下と膝から下がお湯につかるマシンに入り30分。出る頃にはポッカポカになり汗が噴き出す。

 

この30分の間にお店の人がテレビをつけてくれる。大体は土曜の昼下がりに放送しているようなバラエティ情報番組だ。昨日はジャニーズタレントが出てくる番組で動物園でのロケ映像が流れていた。

 

その中で人間に恋したペンギン(結構有名なあのペンギンだ)が取り上げられているではないか。

 

併せて動物奇想天外とか志村動物園とかあの手の番組に時折出てくる【動物を会話できる女性】が登場。飼育員さんに首ったけのペンギンの気持ちとは……という内容だった。

 

私はゲルマニウム温浴マシンの中でぼ~っとそれを見ていたのだが、そのペンギンが予想以上に悲しい過去を持っていたので気づくと涙目になっていた。

 

そしてお店の人がタオルを持ってくる頃にはすっかり半泣きになっており必死で頬の内側を噛んだ。男、いや、漢としてのプライドが私をそうさせた。

 

導入が長くなったが、つまり私は非常に涙もろいのだ。

 

普段は1日に80回は「殺す」と心の中で唱えているしどんなジュエリーよりも私に似合うのは出刃包丁だと思っている。しかし小さいころから感動モノにはとても弱い。

 

盲導犬クイールのテーマソングを聞いただけで泣く。

 

王様のブランチの映画紹介の5分で泣く。

 

赤ちゃんがお母さんにしがみついているのを見て泣く。

 

通勤電車で中島みゆきを聞いて泣く。

 

感受性が強いと言えば聞こえは良いが、最近ではジョジョの奇妙な冒険のゲームのプロモーション映像を見ただけでも泣くので単に涙腺がポンコツなだけとも言えよう。

 

そして同時に、私は人前で泣くことがほぼ無い。なので上記の”泣く”は”泣きそうなのを必死に我慢してクールな顔でやり過ごそうとする”と言った方が正しい。

 

平素、自虐にまみれている癖に人に弱みを見せることに抵抗があるのでよっぽどの限りは人前で泣きたくない。

 

あとは自分の泣き顔がぬ~べ~に出て来た海難法師(観覧注意)みたいだからという理由もある。ぬ~べ~ですら倒せなかった妖怪だ。そんなものを公の場で呈して良い訳が無い。

 

そんな訳で本当は死ぬほど涙もろいのに妙なプライドのせいで人前で泣けないので、私は鉄のような女だと思われている節がある。明かりの消えた街角で速い車に乗っけられても急にスピンかけられても怖くなかった……と中森明菜を気取って歌っても許されるかもしれない。

 

実際、とある動物のニュースで泣いてしまった話を(当時の)ボーイフレンドに話したら「お前みたいな人でなしが?」と言われた。彼氏にすらそう思われていたのだ。お前の目から見た私はどこまで畜生なんだと問いかけたくなったが我慢した。

 

そんな私でも先日、職場でのセクハラに耐え兼ね号泣しながら友達に電話で話を聞いてもらったのだが、なんというか泣き方が武士。そう、武士のそれだった。

 

「ひっく、ふええ」みたいなアレじゃなく天を仰ぎ唇を噛みしめ悔しさに震え涙を流す。そんな感じだった。

 

一応その問題は解決し今は平穏に暮らしている。

 

明菜ちゃんが歌っている通り、涙は飾りじゃないのだ。少なくとも私には、♪このナミダ・ナゲキ→ミライへのステップ さぁ思い切りブチ破ろう♪ の方がしっくりくる。KAT-TUNぐらいギリギリで生きていく力強さが今の私には必要だ。

 

ギリギリで生きた結果、生前葬を開く運びとなった際はぜひとも「殺意♡深めて」と書かれた団扇とキンブレを持ってご来場いただければと思う。お前らの香典待ってるぜ!

 

長生きしろよジジイババア

 

明日が敬老の日だという事を完全に忘れていたし、金曜日まで普通に月曜出社する気でいた。

 

実家の隣に母方の祖父祖母が住み込みの家政婦と暮らしている。年齢は実ははっきりわからない。祖父が80後半、祖母が80前後くらいだと思う。そしてあっちも恐らく私の年齢を把握していない。【働ける歳】くらいにざっくり捉えていると思われる。

 

父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっているし、祖母も小学生のうちに亡くなった。静かで優しい人だった。どちらの祖父祖母も孫の中で私が最年少ということもあり本当に可愛がってくれたし、経済的にも大きな援助をしてくれた。足を向けては寝られない。

 

私は人の祖父祖母、曾祖父祖母の話を聞くのが好きだ。特に曾祖父について。大体みんなインパクトが強くて楽しい。根本的に生きて来た時代が違うのでまるで物語の人物みたいな人が多い気がする。

 

友人の曾祖父は肩から背中にかけて桜吹雪の刺青があり、いわゆる893だったのだが、ベランダから転げ落ちて亡くなったらしい。また、ある友人の祖父は奥様へのプロポーズの際にバク転をしたと言っていた。めっちゃアグレッシブ。

 

そんなジジイエピソードにも負けないくらい、私の曾祖父もキャラが濃い。生前会ったことは無いが母や祖母に話を聞くと「常にフルスロットルかよ」と言いたくなる話がわんさか出てくる。

 

まず第一に、マッチョだった。酪農をしながらアルバイトで江ノ電を引き、日清戦争日露戦争第二次世界大戦に徴兵。全て帰還、102歳で大往生。風呂ときなこと牛が大好きな江戸っ子崩れのべらんめぇ口調。生まれも育ちも東海道宿場町。

 

カラスが畑を荒らせば撃ち落として見せしめに吊るし、軽トラでイノシシを轢き、食用牛の飼育に人生をかけ、見栄っ張りのお洒落好き。400m先の花火会場に家からうるせーぞ!!!!!!!!!!とキレる。だが孫(母)にはとことん甘く、尾行してまで遠足についていった。

 

服については、母の話によると書生風からハイカラ洋風スタイルまで何でも着たらしい。確かに息子(祖父)も孫の私よりよっぽどお洒落だ。一度、朝8時過ぎに家の前で鉢合わせたので「おしゃれしてどこ行くの?」と聞いたら「散歩だよ」と言われた。

 

グレーのベスト、モスグリーンのサテンシャツ、水玉のスカーフ、グレーのスラックス、革靴。どう考えても散歩にいく服装ではない。

 

一方私はTシャツに短パンにゴム草履というスラム街の少年スタイルだった。60歳以上年上のジジイにすら完全敗北を喫した私は一度家に戻り着替えて出かけた。ちなみに祖母も化粧に1時間くらいかける。私はせいぜい20分だ。

 

曾祖父の話に戻るが一番好きなのが妻(曾祖母)の墓を暴き、骨を持って逃げたエピソードだ。

 

念のために言っておくが曾祖父にそういう性的嗜好があったわけではない。曾祖母が無くなってお骨を納めた寺の住職と折り合いが悪く、因縁の仲だったらしい。とうとう我慢ならなくなり、「金に汚いクソ坊主の所に置いておけるか!」と墓を暴き骨を持ち逃げ、当時建立中だった別の寺に移したという。

 

この話を聞いて、私は祖父に”スラム街のレオナルド・ダヴィンチ”の異名を捧げることに決めた。目的は全然違うけど。

 

暴れん坊の曾祖父に比べ、曾祖母はとても穏やかで包容力のある人だったと母は語る。そんな妻の死後が安らかであるようダヴィンチった曾祖父の行動力が私は好きだ。そして血を感じる。

 

常々、祖父も母も私も血の気が多いというかブッ殺す精神が根幹を成しているよなぁと感じていた。これが我が家の血なのだ。その血の運命~さだめ~なのだ。あと、若干ツンデレの気がある。自分で言うのも痛いが多分確実に。

 

現在はあまり頻繁に実家に帰っていないが、いつでも温かく迎えてくれる両親、祖父、祖母。次に帰るときは何かを買って帰ろう。最後に元祖ツンデレ毒蝮三太夫リスペクトで記事を〆ようと思う。皆さんもご唱和ください。

 

長生きしろよ、ジジイ、ババア!

 

悲恋夢に溺れる乙女

悲恋夢、と字面だけは美しいがこの場合の夢は【夢小説】の夢である。

 

基本的に私はハッピーエンドが好きだ。夢小説はほのぼのとしていて幸せな気持ちになれる物を読むことが多い。

 

そして同時に、ハチャメチャに切ない恋の話も大好物なのである。少し例を挙げると、素直になれずすれ違ったまま永遠の別れになる、とかどうやっても報われない片思いとかが好きだ。

 

誰しも心の中に一人は奥華子がいるのである。私のような殺意に塗れたゴリラの胸の奥にも奥華子は居て、キーボードを弾きながら「あなたの目線と私の思いは交わらない平行(パラレル)なリボン」的な歌を歌っている。歌詞は今適当に考えた。

 

私が如何に夢小説を愛し、夢小説と共に成長してきたかを語ると私の寿命が先に尽きるのでひとまず置いておくが、記憶に残る夢小説は大体悲恋だった。

 

10年近く前に1度読んだだけなのに未だに忘れられないような話だって一つや二つではない。それは悲しみが錘になっているからだと感じる。結局、撫でられた幸福は引っかかれた痛みに勝てない。抱いたはずが突き飛ばして包むはずが切り刻んで撫でるつもりが引っ掻いてまた愛求めるってミスチルも歌ってたし。

 

好きなキャラとのハッピーでラブラブ話を読んで温かい気持ちになりたいだけなのに、何故わざわざ悲しい話を読んでしまうのだろうか?

 

それはきっと、(認めたくないが)一生触れることも話す事もできない2次元のキャラ本当に恋をしている気持ちになれるのが悲恋夢だからではないだろうか。

 

あくまで私の場合だが、幸せな話は「よかったねぇ」と若い二人の幸せを祝うババア的立ち位置にいつの間にか収まっている。つまり、どこかで第三者になってしまう。対して第三者のそれとは思えない切なさや胸の痛みを味わえるのが悲恋モノなのだ。どう考えてもこの恋の当事者でしか味わえないような苦しさ。よりリアルに、彼に傷つけられ、彼と悲しみをわかちあっている、恋をしている気持ちになれる。

 

何を言ってるかわからないと言う方は正常だ。

 

「あ~~わかる……」という方はフォレストページと言う菩提樹の下で共に涅槃に入って欲しい。

 

自分から名前変換をして悲しい話を読んでいるのに泣きながらなんで結ばれねぇんだよ!なんで私とこいつは報われねぇんだよ!とカイジのようにボロボロ涙を流した夜も数えきれないほどあった。それでも悲恋夢を求めてしまう。自傷セラピーかよ。

 

まぁ、涙を流すことは笑うよりストレス解消になるというのは有名な話だから、悪い事ではないはずだ。ちなみに大体寝る前に横になった状態で読むので涙は横に垂れる。この時の涙、サイコーにピュアだ。IH予選で湘北に負けた時の藤真健司の涙くらいに澄んでいる。

 

今夜も私は悲恋夢に溺れ、そのまま眠りにつく。死因は溺死ではなく脱水症状だ。二次元の男との悲しい恋物語を読んでアホほど泣き脱水症状で死んだ……という弔辞を半笑いにならずに読んでくれる喪主を募る。

 

 

余談:悲しい夢小説を書きたくて「全人類が切な死する究極の夢小説書いてやっからな」とキーボードを叩き始めたら、いつの間にかヒロインの第一声が「おはヨーグルトブルガリア~!」になっていたことがある……とツイッターに書いた。

 

あれは紛うことなき事実であるし、何度も今度こそと再チャレンジした。が、どうやっても悲しい恋の話が書けない。毎度毎度、いつのまにか相手キャラが褌を探して訪ねてくる話やアザラシ化パロディなどになっている。

 

撫でるつもりが引っ掻くどころか、撫でるつもりがSTF(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック)レベルの不器用さだ。

 


プロレス技~STF