長生きしろよジジイババア

 

明日が敬老の日だという事を完全に忘れていたし、金曜日まで普通に月曜出社する気でいた。

 

実家の隣に母方の祖父祖母が住み込みの家政婦と暮らしている。年齢は実ははっきりわからない。祖父が80後半、祖母が80前後くらいだと思う。そしてあっちも恐らく私の年齢を把握していない。【働ける歳】くらいにざっくり捉えていると思われる。

 

父方の祖父は私が生まれる前に亡くなっているし、祖母も小学生のうちに亡くなった。静かで優しい人だった。どちらの祖父祖母も孫の中で私が最年少ということもあり本当に可愛がってくれたし、経済的にも大きな援助をしてくれた。足を向けては寝られない。

 

私は人の祖父祖母、曾祖父祖母の話を聞くのが好きだ。特に曾祖父について。大体みんなインパクトが強くて楽しい。根本的に生きて来た時代が違うのでまるで物語の人物みたいな人が多い気がする。

 

友人の曾祖父は肩から背中にかけて桜吹雪の刺青があり、いわゆる893だったのだが、ベランダから転げ落ちて亡くなったらしい。また、ある友人の祖父は奥様へのプロポーズの際にバク転をしたと言っていた。めっちゃアグレッシブ。

 

そんなジジイエピソードにも負けないくらい、私の曾祖父もキャラが濃い。生前会ったことは無いが母や祖母に話を聞くと「常にフルスロットルかよ」と言いたくなる話がわんさか出てくる。

 

まず第一に、マッチョだった。酪農をしながらアルバイトで江ノ電を引き、日清戦争日露戦争第二次世界大戦に徴兵。全て帰還、102歳で大往生。風呂ときなこと牛が大好きな江戸っ子崩れのべらんめぇ口調。生まれも育ちも東海道宿場町。

 

カラスが畑を荒らせば撃ち落として見せしめに吊るし、軽トラでイノシシを轢き、食用牛の飼育に人生をかけ、見栄っ張りのお洒落好き。400m先の花火会場に家からうるせーぞ!!!!!!!!!!とキレる。だが孫(母)にはとことん甘く、尾行してまで遠足についていった。

 

服については、母の話によると書生風からハイカラ洋風スタイルまで何でも着たらしい。確かに息子(祖父)も孫の私よりよっぽどお洒落だ。一度、朝8時過ぎに家の前で鉢合わせたので「おしゃれしてどこ行くの?」と聞いたら「散歩だよ」と言われた。

 

グレーのベスト、モスグリーンのサテンシャツ、水玉のスカーフ、グレーのスラックス、革靴。どう考えても散歩にいく服装ではない。

 

一方私はTシャツに短パンにゴム草履というスラム街の少年スタイルだった。60歳以上年上のジジイにすら完全敗北を喫した私は一度家に戻り着替えて出かけた。ちなみに祖母も化粧に1時間くらいかける。私はせいぜい20分だ。

 

曾祖父の話に戻るが一番好きなのが妻(曾祖母)の墓を暴き、骨を持って逃げたエピソードだ。

 

念のために言っておくが曾祖父にそういう性的嗜好があったわけではない。曾祖母が無くなってお骨を納めた寺の住職と折り合いが悪く、因縁の仲だったらしい。とうとう我慢ならなくなり、「金に汚いクソ坊主の所に置いておけるか!」と墓を暴き骨を持ち逃げ、当時建立中だった別の寺に移したという。

 

この話を聞いて、私は祖父に”スラム街のレオナルド・ダヴィンチ”の異名を捧げることに決めた。目的は全然違うけど。

 

暴れん坊の曾祖父に比べ、曾祖母はとても穏やかで包容力のある人だったと母は語る。そんな妻の死後が安らかであるようダヴィンチった曾祖父の行動力が私は好きだ。そして血を感じる。

 

常々、祖父も母も私も血の気が多いというかブッ殺す精神が根幹を成しているよなぁと感じていた。これが我が家の血なのだ。その血の運命~さだめ~なのだ。あと、若干ツンデレの気がある。自分で言うのも痛いが多分確実に。

 

現在はあまり頻繁に実家に帰っていないが、いつでも温かく迎えてくれる両親、祖父、祖母。次に帰るときは何かを買って帰ろう。最後に元祖ツンデレ毒蝮三太夫リスペクトで記事を〆ようと思う。皆さんもご唱和ください。

 

長生きしろよ、ジジイ、ババア!