ちんぽって呼び方どうよ

常々考えている事がある。

 

島国と言う領土構成の恩恵を受け、エロに恵まれすぎた国、日本。そんな我が国に生まれ、自分なりにエロに真摯に生きて来た。

 

というか、今まさにR-18モノの同人誌を某通販サイトで注文してきた所である。エロは善い。乾ききった現代砂漠のオアシスだ。私はBL、GL、NL、そして夢まで何でも咀嚼する妖怪であるが、どうにも引っかかることがあるので聞いてほしい。

 

ちんぽって呼び方どうよ。

 

男性器をちんぽって呼ぶのどうなの……と、ここ2、3年ほどふとした時に真顔で考えてしまう。いやいや、珍宝とかそういう語源があるのは解っているのだ。

 

でもゴッツい男どもがガッツガツに絡み合っていかにも押忍!雄!押忍!雄!って感じの漫画でちんぽとか言われると「そうじゃねぇだろ」と突っ込んでしまうのだ。急に半濁音が差し込まれてくると変な温度差を感じてしまう。

 

そ、そんな「趣味は熊を狩る事だ。俺の後ろに立ったら死ぬと思え」みたいな顔と性格と体格なのになんでちんぽなんだよ。せめてマラだろ。と思う。

 

もしかしたらそんな呼び方しそうにないのに……というギャップが良いのかもしれない。万人にとっての正解なんて無いのは重々承知だ。よって、あくまで私の、私個人の話に限るがそれでもんん~と一息入れてしまう。

 

いや。待ってほしい。私はなにもちんぽ呼びを迫害したい訳ではないのだ。みんな違ってみんな良い。人の性癖を笑うオタクはpixivを出禁になってしまえ。

 

しかしどうやっても私にとって”ちんぽ”はファニーでポップでコミカルだ。エロくない。

 

愛に溢れたラブラブセックス(私の持ってる同人誌は99%そんな奴だ。残り1%はギャグ)の最高潮でそんなファニーな呼び方するかよ!と憤ってしまう。気持ち的にはカツオを叱る波平の心境に近い。繰り返すようだが私個人の好みであり他人に押し付ける気は無いのでご容赦頂きたい。

 

じゃあどんな呼び方なら納得するんだよと胸倉を掴まれたら、私は「ちんこともちんぽともマラとも言ってほしくない」と答える。

 

太宰治はとある酒の席で血気盛んな詩人・中原中也に「おめぇは何の花が好きなんだ」と絡まれ、ビビりながらも「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたという。そんな感じだ。ちなみに当方、一応文学における学士号所持者ではあるが色んな人にブン殴られても文句は言えない。

 

恥ずかしがって直接的な言葉を言わないよう、婉曲表現で表すのがいいんじゃねえか。ノリノリでちんぽとか言うなよ。昔のトレンディドラマのキムタクみたいな表情で宥めさせて頂きたい。自分はこれだけ連呼するのに、だ。

 

それにしても何故こんなテーマで記事を書いているかと言うと、一つ前の記事にも出て来た吉良吉影もちんぽ呼びと知ったのがきっかけだ。

 

 

お前もかよ~ブルータス~お前~お前お前!お前もかよ~~~~。そんなお前~ペニスって言いそうな顔してお前~~~~~~~。

 

よく考えるとNARUTOにもそれでもチンポついてるのかみたいな台詞はあったし、ジャンプではこれがギリギリの表現とかなのだろうか。よくわからない。ちんぽですらファニーなのにチンポってカタカナで書かれるともうアミューズメントパークみたいだから私の心が付いていかない。

 

さて、ここまで書いておいて大変申し訳ないが、冒頭にある某通販サイトで購入した同人誌のタイトルにはちんぽと入っている。ここまでのくだらなすぎる前フリと主張は、私がこの同人誌を楽しむための前戯だと思ってほしい。

 

無駄にした時間を返せ。ぐうの音も出ないほど仰る通りだ。焼き土下座くらいならする。利根川の12秒を超えてみせよう。

 

二子玉川リヴァエール、みたいな名前の9階建て

 

この腐敗した世界に堕とされて20数年、大した問題もなく生きて来た。

 

私の人生目標は、”若い時はほどほどにレールの上を走り、ババアになったら一気に踏み外して好きな事に突っ走る”である。そのまま脱線事故でも起こせばめでたく夭折という事になるが、パンクロッカーみたいでいっそ花々しいかもしれない。棺は拍手で見送って欲しい。

 

まぁ結局、根が小心者で人からの評価を気にする質であるから、そんなに大それた人生を送れる気はしない。それでも大きな失敗のない人生は成功した人生じゃないのか。吉良吉彰だってそんな感じの事言ってたし。

 

「激しい喜びはいらない……そのかわり、深い絶望もない……植物の心のような人生を……そんな平穏な生活こそ、わたしの目標だったのに……」

 

吉良吉影ツイッターでこんなポストをしていたら即座にRTとイイネをするし「わかる」とリプライを送るだろう。ほんとにこれ。ほんとにこれなんだ。

 

ちなみにこいつは凄まじい手フェチで綺麗な手の女を殺しては指をしゃぶったり持ち歩いたりしてるクソサイコ野郎である。何が植物の心だテメーはトリカブトだ、とクソリプをかましたい。

 

植物の心と言えば、私は常々「生まれ変わるならいつか採取されてバイオリンにされる木かマングローブ」とボヤいている。学生時代、来世は竹になろうねと誓い合った女もいる。どれだけ植物属性になりたいのか。世間一般から見てまだまだ青春中の歳だろうに、早くも来世のことしか考えていない。

 

では今生で成し遂げられそうなことは?と聞かれてもマジで全く出てこないのだ。盛って、同人誌を出すくらいだろう。

 

これは願望だが、強いていうなら二子玉川のマンションに住みたい。

 

独身貴族が住むような1LDKの綺麗なマンションに住み、慎ましくも自由に生きたい。簡単そうで簡単じゃない願望だ。そもそも私は二子玉川に夢を見すぎている節がある。

 

なぜか。

 

単純に街の雰囲気が好きだからだ。あの川沿いの洗練された富裕層の街。10代の頃、二子玉川で途中下車してとあるショッピングセンターに入ったことがある。平日昼過ぎだったので旦那は都庁勤務ですみたいな若妻が沢山居た。あまりの場違い感にすぐ出て来てしまったほろ苦い思い出である。関係ないが二子玉川って、ふたこたまがわと呼んでもニコタマと略しても下ネタっぽいよな、といつも思う。

 

ニコタマで一人暮らしです~って言いてぇ。

 

自家製サングリアを炭酸で割りながら多摩川を眺めてぇ。

 

マクロブラニクで奮発して買ったヒールをカツカツ鳴らしてエントランスに消えてぇ。

 

改めて書き出すとちまっこいようで物凄くがめついし身の程知らず感がすごい。ヤダもうあたしったら。現実は横浜の1kのアパートでユニクロのリラコを身に纏いこれを書いている。ヤダもうほんとあたしったら。

 

何の自身も持てない人生と人間ではあるが夢を見ることにかけては超一流だと自負しているので、このまま地獄生きのレールを突っ走っていきたいと思う。BUMP OF CHICKENも「イェヘェ~誰もがDreamer~」と歌っている事だし。

 

 

※この文を書いた後、末文のバンプの歌詞を確認してみたのだが、正しくは「誰もがビリーヴァー」だった。そうだっけとPVを見返したらうら若き藤原基央がどう聞いても「誰もがドリーマー」と歌っていた。もう何も信じられない。

 

20歳からの中二病

 

中二病と言う言葉が浸透してどれほど経っただろうか。

邪気眼とも言うし、厨二病とも表記する。

 

恐らく、私がリアル中2だった時はまだ正確な言葉としては確立していなかった概念だ。ただ、私が中2だった時どころか両親がその年頃だった頃に遡ってもそういう人種はいただろう。14歳ってそういう時期だ。

 

私の場合は14歳で既に漫画のキャラクターにベタ惚れしまくっていたので方向性が違うかもしれない。つーか今もそうだ。死ぬ直前の走馬灯には2次元のキャラが100人くらい出てくるんじゃねえかと思う。

 

とにかく、”自分はエストリア帝国の姫なのだが普段はそれを隠している”とか”先祖が安倍晴明で巫女としての能力を秘めた美少女”とか”恋人は国一番のスナイパーのアルフレッド”とかそういうことは考えていなかった。

 

その代り、家庭教師ヒットマンREBORN!に出てくるイタリアのマフィア・スクアーロに焦がれていた。

 

今でも思い出すと胸がキュッとなる(悪い意味で)のだが、好きすぎて彼が鮫に食われた時に後追いしようと思った。

 

それまで私が見たことのある鮫は地元の水族館のふれあいコーナーにいる小さな鮫だけだったので、なんとなく太平洋の沖まで行けば死ねるのではとか思った。この時点で脳内でアルフレッドとイチャついてた方がまだマシな気がする。

 

ちなみに彼は鮫に食われかけたが生きていた。本当に良かった。14歳の中学生に天を仰いで男泣きさせるとは罪な男だ。ほんとにな。責任取れや。

 

そんな私が18くらいになる頃、すっかり中二病はネタとして扱われるようになっていた。あの瑞々しいイタさも一つのジャンルとして収斂してしまったように感じる。

 

その代替品と表すのは少し違うだろうが、そのころから「サブカル」という言葉が瞬く間に広まった。

 

サブカルは褒め言葉であり、貶し言葉である。

 

私も例に漏れずそういうバンドにハマったりそういう作品を読んだりヴィレッジバンガードハッピーツリーフレンズのラバーマスコットを買ってきて通学カバンに付けたりヘッドフォンでゆらゆら帝国を聞きながら学校へ行ったりした。濃縮還元のイタさから希釈したイタさにクラスチェンジした訳だが、周りにもそういう子は沢山居た。私サブカルブスだから~と名乗ることの妙な心地よさと楽さ。思春期だから許してほしい。

 

そんな世代が成人して、どうなったかと言うと。

 

これは私に限った事なのかよくわからないが、ここにきて敢えての中二病を謳歌したさに満ちている。

 

オイイイイイイイイイイ!とか言いたい。

 

銃の手入れをしながら「ったく、損な役回りね……」とため息を吐きたい。

 

一族が千年前に封印した禁忌呪術であるコールド・ストリング・キッス(-200度まで凍らせた網状の氷を一面に放ち相手を死に追いやる技)を解放したい。

 

最近は真面目に「自分の属性は闇&氷がいいなぁ」と思っている。そういうことを考えている時は大体仕事をしている時なので単に現実逃避とも言えよう。

 

もう大人だから。税金と年金払ってるから。敢えてね、敢えて。一生敢えんな。

 

今や中二病は一つのジャンルになったしサブカルもそういうくくりになってしまった気がしてならない。個性派が集まるといつのまにか個性を失いネズミの群れみたいに皆同じになるように。だけどまぁ、カテゴライズされる安心感というものも確実にあって、私のように今、敢えての中二病を満喫している社会人も少なからずいるのではないか。

 

きっと今日も全国のオフィスには”私には異世界に恋人がいてその彼はCV櫻井孝宏でイケメンなのだが実は魔界のプリンスでドSで……”とか思いながら資料をコピーしているOLがいるのだ。

 

”下宿先のアパートの風呂場に突如半獣の美少女が!?突然始まるハチャメチャラブコメ!”を妄想しているサラリーマンもいるのだ。

 

そのうちの一人である身としては、両手を合わせて「幸あれ」と願う事しか出来ない。