俺はエクソシストだ成仏しろ

パワーストーンが好きである。

 

別に病的にハマっていたり作用を妄信している訳ではないのだが、アクセサリーを買う時にパワーストーンがさりげなく入っているものを選んでしまう。

 

アクセサリーと言っても付けるのは基本的にイヤリングとブレスレットのみ。イヤリングは最近ずっとお気に入りを付けているがブレスレットは何種類かあるものを日替わりでつけている。重ね付けも好きだ。

 

その何種類かあるブレスレットは全てパワーストーンが組み込まれている物である。

 

誕生石がダイヤモンド・クォーツという事もあり、透明な宝石が好きだ。

 

ダイヤは流石に高いのでもっぱらクォーツの物を付けるが、キラッと光るのがとても良い。店で手に取った時も、その透明感と輝きと浄化作用に惹かれたのがきっかけだった。

 

せっかくなら肩こり改善とか、眼精疲労治癒とかむくみ取りとかそういう作用があればいいのだが、もはやそれは湯治である。ピップマグネループが一番のパワーストーンアクセサリーではないだろうか。

 

話を戻すが、浄化作用。浄化。いい言葉だ。

 

少し前、広末涼子が出ているCMが薬事法にひっかかり放送禁止になったことがあったがあれは「浄化」というワードがまずかったらしい。

 

まぁ、浄化と言うと怪しい宗教っぽいもんな。

 

恐らく私は、私はというか現代社会を生き抜く人間は、誰しも淀みを抱えていると思う。それをクリアにできる!と言われたら惹かれるだろう。溜まっていたスマフォのキャッシュや履歴をクリアするようなものだ。多分。

 

実はもう一つ、クォーツのアクセサリーを付けているのには理由がある。

 

ツイッターなどではたまに不満をぶちまけているのだが、現職場でセクハラじみたことをされている。

 

この件について話すと南総里見八犬伝ばりに長くなるし、途中で殺意を抑えようとYOUTUBEで柴犬の動画を見ることになるので割愛するが、とにかく上司が「邪」でしかないのだ。

 

寄るんじゃねぇ浄化すっぞテメェコラと叫びたい気持ちを抑え、クォーツの光るブレスレットを付けた手でオフィスに乗り込む毎日だ。

 

本当ならロザリオや青龍偃月刀(関羽が持ってるアレだ)や黒人のセキュリティと共に出勤したい。やむを得ずこのような細やかな対処を取るに至ったが、黒人セキュリティの同伴はまだ諦めていない。

 

クォーツについては今の所何も言われていないので、ひとまずデスクをデコるところから始めようか。

 

最終的には”浄化♡作用”と書かれたTシャツでクォーツをベロンベロン舐めまわし今の現場から外されることになりたい。クソお世話になりました!と叫んだあとベロンベロン舐めまわしていたクォーツをオーバースローでブン投げ、GetWildを歌いながら去る。そこまでが私の退職プランだ。

 

こんなことを書いている時点で全然浄化されてないな、と気づく。今週末は新宿へ行くので、新たなクォーツのアクセサリーを買おう。

 

もしもこのブログが表参道のカフェやインスタ映え抜群のリゾート地について語り出したら浄化が成功したと思って欲しい。もしくは上記のようにハッピーワンダフル退職を遂げたかだ。確率的には後者の方が高い。

 

正気の沙汰じゃねえ

 

尾籠な話題で恐縮だが(このマクラを遣ってみたかった)、当方脱毛済である。

 

2年の月日と10回の痛みと20万の出費を引き換えに、うなじ、脇、ひざ下、VIOをレーザー脱毛している。先日ようやく施術が終わった。

 

電車で、よく両脇200円!とか3か所500円!とか恐ろしいまでの安さを謳った広告をよく目にするがそういった大手サロンではない。地元にある小さめの美容サロンだ。まつげエクステやフェイシャルエステやリンパマッサージも過去にしてもらっている。

 

このサロンの脱毛は医療用に近いので料金は高いがその分バシッと効く。2年間でこのサロンに合計40万ほど突っ込んでいるが後悔はない。

 

今や脱毛は高校生でも簡単に手を出せるようになった。MやTといった大手サロンの施術は受けたことがないからよくわからないが、あんなに安くても元手が取れるくらい儲かっているのだろう。

 

ただ、ネガキャンをするつもりは毛頭ないのだが、安いがその分何度も通うことになり、しかも安くて人気なので予約が取れない……と嘆く友人も何人か見た。高くてバシッと効くか安くてゆるっと通うか、どう選ぶかは自由だ。そしてどっちにしろ痛い事には変わりない。

 

脱毛を経験済みの方はご理解頂けるだろう。あの独特の痛み。

 

ゴムパッチンくらいですよ~と説明する人もいるようだが、私は熱した針ブラシをチクッチクッと刺されている気持ちになった。金を払って足を運んで痛い思いをせねば毛は駆逐できないのだ。

 

痛みの中でも、VIO脱毛の痛みは格別だ。念のため説明するとVIOとはデリケートゾーン一帯を指す。所謂Vの辺りはまだいい。全然耐えられる。問題はIとOだ。なぜあんなに痛いのか。

 

毎回、痛みに耐えているうちに脳内の勝俣が人類スゲェー!と騒ぎ出す。

 

恥部を曝け出し、予めすべての毛を剃られ、薬剤を塗られ、レーザーを打たれる。会員制のSMクラブでもそうそうお目に掛かれないようなプレイだ。

 

変な所(尻とか)に汗をかくし、「グッ……ウグッ……イッテ……ウ゛ッ」と唸ってしまうタイプの痛みを耐え抜いた自分と、そうまでさせた毛根を恨む。ちなみに、レーザーを打ち終わり冷タオルを股間に当てられている時は旧五千円札の新渡戸稲造のような表情をしている。

 

そういえば先月、上司同士が髭脱毛について話しているのが聞こえた。男性は毛根も強いからか、髭脱毛も死ぬほど痛いらしい。

 

男性の脱毛に特徴的なのが笑気ガスや麻酔がオプションでつくという事だ。女性の脱毛サービスではまず見ない。羨ましすぎる。金を積んであの痛みを味わわずに済むならぜひそうしたい。

 

そもそも髭はチャームポイントにもなりうるが女性の体毛は違う。処理くらいしろよと言われてしまうこんな世の中なのだ。言いたい事も言えないこんな世の中じゃpoisonと反町隆史もブチ切れ寸前である。

 

そうだ。言いたい事。私はよく「パイパンはいいぞ」と主張しているのだが同意してくれる人は殆どいない。改めて言わせてほしい。パイパンはいいぞ。

 

なんといっても楽だ。めっちゃくちゃ楽だ。楽というか、わずらわしさがない。すっきりする。焼き畑のようなものだと思えばいい。(調べたら焼き畑は畑を焼いた後にまた植えるらしい。植えちゃダメだ。)最初は違和感があったがもう戻れない。痛がった甲斐があると言うものだ。

 

自分で処理をするのは安上がりだがリスクも高いので、ある程度余裕が出来たらぜひ脱毛サロンで色々な所の毛を駆逐してほしい。

 

どうでもいいが、私のVIO脱毛を担当してくれている店員さんが学年は被っていないものの高校の後輩で、部活も担任も同じだったと最近知った。世間って狭いですね~!と、股間に冷タオルを巻かれたまま新渡戸稲造は笑った。

 

殺意と女性ホルモンは出し惜しむな

年齢一桁の時分、女らしさに嫌悪感を持っていた。

 

髪の毛は短く、スカートなんて全く履かず、オレとは言わなくとも私なんてとても言えなかった。胸が膨らみ始めたのだって嫌だった。

 

今となれば感謝して享受しておけばよかったと陵南戦の三井寿ばりに悔やんでいる。

 

元々シスコンなので姉二人はいつも憧れの存在で、”姉がボーイッシュなら私も”、とそれが一番の理由だった。となれば当然”姉が女らしくするなら私も”となるわけで、姉が高校に入るころには私もボーイッシュからかけ離れていくのである。

 

髪の毛を伸ばしスカートを履き、高1の頃には化粧も覚えた。小学校の頃に感じていた女らしさへの嫌悪感はなんだったのだろう。

 

通っていたスイミングスクールで、変なおじさんにケツをジッと見つめ続けられた経験があるからだろうか。性的な目で見られるというのは、年端もいかない女児には違和感と不快感しかない。

 

そしてこれはただの自慢なのだが、小さい頃はマジで可愛かった。外国の赤ちゃんのような愛らしさだった。保育園の同級の保護者に私のファンが居て、毎日貢物(髪飾りとか)を貰っていたくらいだ。

 

そして何より親が私の外見について褒めるのはその頃についてだけである。お陰でこんな屈折した自意識の持ち主になった。物事には必ず因果があると親の賛辞と己の自意識から学んだ。サンキュー!とマシンガンを乱射しながら叫びたい。

 

それにしても、小さい頃は可愛かったんだよ自慢をすると、オレ昔は悪だったんだぜ自慢をする中の下の男のようで恥ずかしい。満足に自慢も出来ないほど自己肯定度が低いのでこの話は終わりにする。

 

で、高校生大学生現在と特にボーイッシュな服装もせずフェミニンとまではいかずとも女らしい服装は好きだった。女の子らしい、というより女らしい服が好きだ。成長した私は目出度くゴツいオカマ顔となったので女寄りにしないとタイで性転換したのに服装はそのままみたいな人みたいになってしまうのもある。

 

こんなことを書いてはいるが私は女の人生をすごく楽しんでいるし、女らしくするのが好きだ。

 

もしもこのブログを読んで、そうかじゃあ女らしくしてやるわいガーッハッハッハと思ってくださった諸氏(死後の魂を賭けても良いが居ないだろう)には僭越ながらこう申し上げたい。

 

殺意と女性ホルモンは出し惜しむな。

 

殺気は色気であり色気は殺気だ。私の場合殺気が元々無いに等しい色気を完全に食い殺し殺気100%のヤベーブスになっているがそれでもそう言いたい。この2文で「殺」と言う字が5回出てきてしまった。殺意弁が完全にどうかしている。

 

死線を潜り抜けて来たスタントマンは物凄いフェロモンを醸し出すらしいし、「アブない」は「なんだかエロい」の遠回しな言い方だ。ぜひとも殺気と色気の入り混じった女性が増えてほしい。殺気の出し方は各々上司を思い浮かべるとか、天引きされる税金の桁数とか、インスタ映えばかり気にする女を思い浮かべて工夫して頂こう。

 

さて、美意識の高い私はそろそろ日課である丑の刻参りの準備を始めるので失礼させて頂く。あなかしこ。

 

ちんぽって呼び方どうよ

常々考えている事がある。

 

島国と言う領土構成の恩恵を受け、エロに恵まれすぎた国、日本。そんな我が国に生まれ、自分なりにエロに真摯に生きて来た。

 

というか、今まさにR-18モノの同人誌を某通販サイトで注文してきた所である。エロは善い。乾ききった現代砂漠のオアシスだ。私はBL、GL、NL、そして夢まで何でも咀嚼する妖怪であるが、どうにも引っかかることがあるので聞いてほしい。

 

ちんぽって呼び方どうよ。

 

男性器をちんぽって呼ぶのどうなの……と、ここ2、3年ほどふとした時に真顔で考えてしまう。いやいや、珍宝とかそういう語源があるのは解っているのだ。

 

でもゴッツい男どもがガッツガツに絡み合っていかにも押忍!雄!押忍!雄!って感じの漫画でちんぽとか言われると「そうじゃねぇだろ」と突っ込んでしまうのだ。急に半濁音が差し込まれてくると変な温度差を感じてしまう。

 

そ、そんな「趣味は熊を狩る事だ。俺の後ろに立ったら死ぬと思え」みたいな顔と性格と体格なのになんでちんぽなんだよ。せめてマラだろ。と思う。

 

もしかしたらそんな呼び方しそうにないのに……というギャップが良いのかもしれない。万人にとっての正解なんて無いのは重々承知だ。よって、あくまで私の、私個人の話に限るがそれでもんん~と一息入れてしまう。

 

いや。待ってほしい。私はなにもちんぽ呼びを迫害したい訳ではないのだ。みんな違ってみんな良い。人の性癖を笑うオタクはpixivを出禁になってしまえ。

 

しかしどうやっても私にとって”ちんぽ”はファニーでポップでコミカルだ。エロくない。

 

愛に溢れたラブラブセックス(私の持ってる同人誌は99%そんな奴だ。残り1%はギャグ)の最高潮でそんなファニーな呼び方するかよ!と憤ってしまう。気持ち的にはカツオを叱る波平の心境に近い。繰り返すようだが私個人の好みであり他人に押し付ける気は無いのでご容赦頂きたい。

 

じゃあどんな呼び方なら納得するんだよと胸倉を掴まれたら、私は「ちんこともちんぽともマラとも言ってほしくない」と答える。

 

太宰治はとある酒の席で血気盛んな詩人・中原中也に「おめぇは何の花が好きなんだ」と絡まれ、ビビりながらも「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたという。そんな感じだ。ちなみに当方、一応文学における学士号所持者ではあるが色んな人にブン殴られても文句は言えない。

 

恥ずかしがって直接的な言葉を言わないよう、婉曲表現で表すのがいいんじゃねえか。ノリノリでちんぽとか言うなよ。昔のトレンディドラマのキムタクみたいな表情で宥めさせて頂きたい。自分はこれだけ連呼するのに、だ。

 

それにしても何故こんなテーマで記事を書いているかと言うと、一つ前の記事にも出て来た吉良吉影もちんぽ呼びと知ったのがきっかけだ。

 

 

お前もかよ~ブルータス~お前~お前お前!お前もかよ~~~~。そんなお前~ペニスって言いそうな顔してお前~~~~~~~。

 

よく考えるとNARUTOにもそれでもチンポついてるのかみたいな台詞はあったし、ジャンプではこれがギリギリの表現とかなのだろうか。よくわからない。ちんぽですらファニーなのにチンポってカタカナで書かれるともうアミューズメントパークみたいだから私の心が付いていかない。

 

さて、ここまで書いておいて大変申し訳ないが、冒頭にある某通販サイトで購入した同人誌のタイトルにはちんぽと入っている。ここまでのくだらなすぎる前フリと主張は、私がこの同人誌を楽しむための前戯だと思ってほしい。

 

無駄にした時間を返せ。ぐうの音も出ないほど仰る通りだ。焼き土下座くらいならする。利根川の12秒を超えてみせよう。

 

二子玉川リヴァエール、みたいな名前の9階建て

 

この腐敗した世界に堕とされて20数年、大した問題もなく生きて来た。

 

私の人生目標は、”若い時はほどほどにレールの上を走り、ババアになったら一気に踏み外して好きな事に突っ走る”である。そのまま脱線事故でも起こせばめでたく夭折という事になるが、パンクロッカーみたいでいっそ花々しいかもしれない。棺は拍手で見送って欲しい。

 

まぁ結局、根が小心者で人からの評価を気にする質であるから、そんなに大それた人生を送れる気はしない。それでも大きな失敗のない人生は成功した人生じゃないのか。吉良吉彰だってそんな感じの事言ってたし。

 

「激しい喜びはいらない……そのかわり、深い絶望もない……植物の心のような人生を……そんな平穏な生活こそ、わたしの目標だったのに……」

 

吉良吉影ツイッターでこんなポストをしていたら即座にRTとイイネをするし「わかる」とリプライを送るだろう。ほんとにこれ。ほんとにこれなんだ。

 

ちなみにこいつは凄まじい手フェチで綺麗な手の女を殺しては指をしゃぶったり持ち歩いたりしてるクソサイコ野郎である。何が植物の心だテメーはトリカブトだ、とクソリプをかましたい。

 

植物の心と言えば、私は常々「生まれ変わるならいつか採取されてバイオリンにされる木かマングローブ」とボヤいている。学生時代、来世は竹になろうねと誓い合った女もいる。どれだけ植物属性になりたいのか。世間一般から見てまだまだ青春中の歳だろうに、早くも来世のことしか考えていない。

 

では今生で成し遂げられそうなことは?と聞かれてもマジで全く出てこないのだ。盛って、同人誌を出すくらいだろう。

 

これは願望だが、強いていうなら二子玉川のマンションに住みたい。

 

独身貴族が住むような1LDKの綺麗なマンションに住み、慎ましくも自由に生きたい。簡単そうで簡単じゃない願望だ。そもそも私は二子玉川に夢を見すぎている節がある。

 

なぜか。

 

単純に街の雰囲気が好きだからだ。あの川沿いの洗練された富裕層の街。10代の頃、二子玉川で途中下車してとあるショッピングセンターに入ったことがある。平日昼過ぎだったので旦那は都庁勤務ですみたいな若妻が沢山居た。あまりの場違い感にすぐ出て来てしまったほろ苦い思い出である。関係ないが二子玉川って、ふたこたまがわと呼んでもニコタマと略しても下ネタっぽいよな、といつも思う。

 

ニコタマで一人暮らしです~って言いてぇ。

 

自家製サングリアを炭酸で割りながら多摩川を眺めてぇ。

 

マクロブラニクで奮発して買ったヒールをカツカツ鳴らしてエントランスに消えてぇ。

 

改めて書き出すとちまっこいようで物凄くがめついし身の程知らず感がすごい。ヤダもうあたしったら。現実は横浜の1kのアパートでユニクロのリラコを身に纏いこれを書いている。ヤダもうほんとあたしったら。

 

何の自身も持てない人生と人間ではあるが夢を見ることにかけては超一流だと自負しているので、このまま地獄生きのレールを突っ走っていきたいと思う。BUMP OF CHICKENも「イェヘェ~誰もがDreamer~」と歌っている事だし。

 

 

※この文を書いた後、末文のバンプの歌詞を確認してみたのだが、正しくは「誰もがビリーヴァー」だった。そうだっけとPVを見返したらうら若き藤原基央がどう聞いても「誰もがドリーマー」と歌っていた。もう何も信じられない。

 

20歳からの中二病

 

中二病と言う言葉が浸透してどれほど経っただろうか。

邪気眼とも言うし、厨二病とも表記する。

 

恐らく、私がリアル中2だった時はまだ正確な言葉としては確立していなかった概念だ。ただ、私が中2だった時どころか両親がその年頃だった頃に遡ってもそういう人種はいただろう。14歳ってそういう時期だ。

 

私の場合は14歳で既に漫画のキャラクターにベタ惚れしまくっていたので方向性が違うかもしれない。つーか今もそうだ。死ぬ直前の走馬灯には2次元のキャラが100人くらい出てくるんじゃねえかと思う。

 

とにかく、”自分はエストリア帝国の姫なのだが普段はそれを隠している”とか”先祖が安倍晴明で巫女としての能力を秘めた美少女”とか”恋人は国一番のスナイパーのアルフレッド”とかそういうことは考えていなかった。

 

その代り、家庭教師ヒットマンREBORN!に出てくるイタリアのマフィア・スクアーロに焦がれていた。

 

今でも思い出すと胸がキュッとなる(悪い意味で)のだが、好きすぎて彼が鮫に食われた時に後追いしようと思った。

 

それまで私が見たことのある鮫は地元の水族館のふれあいコーナーにいる小さな鮫だけだったので、なんとなく太平洋の沖まで行けば死ねるのではとか思った。この時点で脳内でアルフレッドとイチャついてた方がまだマシな気がする。

 

ちなみに彼は鮫に食われかけたが生きていた。本当に良かった。14歳の中学生に天を仰いで男泣きさせるとは罪な男だ。ほんとにな。責任取れや。

 

そんな私が18くらいになる頃、すっかり中二病はネタとして扱われるようになっていた。あの瑞々しいイタさも一つのジャンルとして収斂してしまったように感じる。

 

その代替品と表すのは少し違うだろうが、そのころから「サブカル」という言葉が瞬く間に広まった。

 

サブカルは褒め言葉であり、貶し言葉である。

 

私も例に漏れずそういうバンドにハマったりそういう作品を読んだりヴィレッジバンガードハッピーツリーフレンズのラバーマスコットを買ってきて通学カバンに付けたりヘッドフォンでゆらゆら帝国を聞きながら学校へ行ったりした。濃縮還元のイタさから希釈したイタさにクラスチェンジした訳だが、周りにもそういう子は沢山居た。私サブカルブスだから~と名乗ることの妙な心地よさと楽さ。思春期だから許してほしい。

 

そんな世代が成人して、どうなったかと言うと。

 

これは私に限った事なのかよくわからないが、ここにきて敢えての中二病を謳歌したさに満ちている。

 

オイイイイイイイイイイ!とか言いたい。

 

銃の手入れをしながら「ったく、損な役回りね……」とため息を吐きたい。

 

一族が千年前に封印した禁忌呪術であるコールド・ストリング・キッス(-200度まで凍らせた網状の氷を一面に放ち相手を死に追いやる技)を解放したい。

 

最近は真面目に「自分の属性は闇&氷がいいなぁ」と思っている。そういうことを考えている時は大体仕事をしている時なので単に現実逃避とも言えよう。

 

もう大人だから。税金と年金払ってるから。敢えてね、敢えて。一生敢えんな。

 

今や中二病は一つのジャンルになったしサブカルもそういうくくりになってしまった気がしてならない。個性派が集まるといつのまにか個性を失いネズミの群れみたいに皆同じになるように。だけどまぁ、カテゴライズされる安心感というものも確実にあって、私のように今、敢えての中二病を満喫している社会人も少なからずいるのではないか。

 

きっと今日も全国のオフィスには”私には異世界に恋人がいてその彼はCV櫻井孝宏でイケメンなのだが実は魔界のプリンスでドSで……”とか思いながら資料をコピーしているOLがいるのだ。

 

”下宿先のアパートの風呂場に突如半獣の美少女が!?突然始まるハチャメチャラブコメ!”を妄想しているサラリーマンもいるのだ。

 

そのうちの一人である身としては、両手を合わせて「幸あれ」と願う事しか出来ない。