悲恋夢に溺れる乙女

悲恋夢、と字面だけは美しいがこの場合の夢は【夢小説】の夢である。

 

基本的に私はハッピーエンドが好きだ。夢小説はほのぼのとしていて幸せな気持ちになれる物を読むことが多い。

 

そして同時に、ハチャメチャに切ない恋の話も大好物なのである。少し例を挙げると、素直になれずすれ違ったまま永遠の別れになる、とかどうやっても報われない片思いとかが好きだ。

 

誰しも心の中に一人は奥華子がいるのである。私のような殺意に塗れたゴリラの胸の奥にも奥華子は居て、キーボードを弾きながら「あなたの目線と私の思いは交わらない平行(パラレル)なリボン」的な歌を歌っている。歌詞は今適当に考えた。

 

私が如何に夢小説を愛し、夢小説と共に成長してきたかを語ると私の寿命が先に尽きるのでひとまず置いておくが、記憶に残る夢小説は大体悲恋だった。

 

10年近く前に1度読んだだけなのに未だに忘れられないような話だって一つや二つではない。それは悲しみが錘になっているからだと感じる。結局、撫でられた幸福は引っかかれた痛みに勝てない。抱いたはずが突き飛ばして包むはずが切り刻んで撫でるつもりが引っ掻いてまた愛求めるってミスチルも歌ってたし。

 

好きなキャラとのハッピーでラブラブ話を読んで温かい気持ちになりたいだけなのに、何故わざわざ悲しい話を読んでしまうのだろうか?

 

それはきっと、(認めたくないが)一生触れることも話す事もできない2次元のキャラ本当に恋をしている気持ちになれるのが悲恋夢だからではないだろうか。

 

あくまで私の場合だが、幸せな話は「よかったねぇ」と若い二人の幸せを祝うババア的立ち位置にいつの間にか収まっている。つまり、どこかで第三者になってしまう。対して第三者のそれとは思えない切なさや胸の痛みを味わえるのが悲恋モノなのだ。どう考えてもこの恋の当事者でしか味わえないような苦しさ。よりリアルに、彼に傷つけられ、彼と悲しみをわかちあっている、恋をしている気持ちになれる。

 

何を言ってるかわからないと言う方は正常だ。

 

「あ~~わかる……」という方はフォレストページと言う菩提樹の下で共に涅槃に入って欲しい。

 

自分から名前変換をして悲しい話を読んでいるのに泣きながらなんで結ばれねぇんだよ!なんで私とこいつは報われねぇんだよ!とカイジのようにボロボロ涙を流した夜も数えきれないほどあった。それでも悲恋夢を求めてしまう。自傷セラピーかよ。

 

まぁ、涙を流すことは笑うよりストレス解消になるというのは有名な話だから、悪い事ではないはずだ。ちなみに大体寝る前に横になった状態で読むので涙は横に垂れる。この時の涙、サイコーにピュアだ。IH予選で湘北に負けた時の藤真健司の涙くらいに澄んでいる。

 

今夜も私は悲恋夢に溺れ、そのまま眠りにつく。死因は溺死ではなく脱水症状だ。二次元の男との悲しい恋物語を読んでアホほど泣き脱水症状で死んだ……という弔辞を半笑いにならずに読んでくれる喪主を募る。

 

 

余談:悲しい夢小説を書きたくて「全人類が切な死する究極の夢小説書いてやっからな」とキーボードを叩き始めたら、いつの間にかヒロインの第一声が「おはヨーグルトブルガリア~!」になっていたことがある……とツイッターに書いた。

 

あれは紛うことなき事実であるし、何度も今度こそと再チャレンジした。が、どうやっても悲しい恋の話が書けない。毎度毎度、いつのまにか相手キャラが褌を探して訪ねてくる話やアザラシ化パロディなどになっている。

 

撫でるつもりが引っ掻くどころか、撫でるつもりがSTF(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック)レベルの不器用さだ。

 


プロレス技~STF